これは新しい主張ではありません。今更ながらに感じていることです。

 被害者の置かれている状況は過酷なのです。交通事故に遭うと以下の苦役が待っています。
 

1、ケガをしてすごく痛い

2、入通院、治療、損害物の修理や買替えにに時間を取られる

3、当然、仕事に支障が起きる

4、家族や周囲の人達に迷惑がかかる

5、警察や医師との折衝にストレス

6、加害者や加害者側保険会社との交渉に強烈なストレス

7、書いたこともないような面倒な書類を何枚も書かなければならない

8、被害者の側で診断書や検査等、証拠を揃えなければならない

9、保険金や賠償金がでるまで待たされる

10、望みの金額を得るために必死に交渉を重ねなければならない

11、これら作業を代理人に頼めば費用が発生する

12、場合によっては一生治らない障害が残る

13、結果として必ずしも納得のいく賠償金が得られない
 

 このように、理不尽極まる立場に置かれます。これらの難渋に酬いるものは何でしょうか?それは加害者の謝罪でしょうか?

 結論はわかりきっています。苦しみの対価はお金です。毎度、身も蓋もない表現ですが、相応の損害賠償の実現に他なりません。被害者の務めは2つです。1に損害の自力回復、具体的にはケガを治すことです。2つ目が損害の対価の獲得、つまりお金を取ることなのです。

c_y_176 相手の謝罪がないことに憤慨する、相手保険会社に対応に憤慨する、医師や役所の対応に憤慨する、福祉や制度の不備を呪う・・これらはお金を取ることにまったく繋がりません。もちろん、被害者さんの気持ちは痛いほど解ります。しかし私達、交通事故に関わる業者は損害賠償の実現に向けて粛々と作業を進めるのみです。

 相手が謝れば、多少心が晴れるでしょう。しかし、これでケガの痛みがなくなるわけではありません。また慰謝料が増えるわけではありません。土下座は無料です。
 保険会社が丁寧な対応をした、担当者を交替させた・・だとしても同じこと、ちっとも賠償金は増えません。彼らは単なるサラリーマン、仕事を淡々と処理しているだけです。
 
 被害者の進むべき道は相手に復讐することでも、保険会社や関係機関の対応を正すことでもありません。正義を貫くことではないのです。また、社会の諸制度の間違いを糾弾することでもありません。世の為人の為に立ち上がったわけではないはずです。それは政治家や他の人の仕事です。ただ一つ、自らの苦難の対価の受ける=損害賠償金の獲得が目指すべき勝利です。私はこれを極論とは思いません。

 ここまで割り切った被害者が納得した解決を果たします。解決まで一緒に頑張りましょう。そして勝ちましょう。