社会保障制度の問題は今後も注目、取り上げていきたいと思います。
 
 解説は昨日の通りなのですが、一言所感を述べたいと思います。
 
 今回は行政側の生活保護費の削減が、憲法に照らして違法と判断されました。これから削減分の補填を行うことになります。裁判の負担と時間を奪われた原告(申請者)に対して、迅速に進めて頂きたいと思います。間違いを認め、それを正すことが大事です。

 しかし、原告側の一部からの物言いが、ちょっと気になりました。今回の判決を受けて、「行政側に謝罪してほしい」との意見です。単なる謝罪の言葉を欲しているだけかと思いますが、民事の世界では謝罪はただではありません。謝罪=慰謝料なのです。もちろん、本件で慰謝料が発生するとは考えづらい・・せめて追加の支給分について利息分の加算はあるかもしれません。これらは実務的な問題かと思います。

 私が引っかかるのは、謝罪を求める意識です。そもそも、生活困窮者へ皆の税金から援助をする制度です。司るのは行政ですが、助け合いの制度であることは間違いありません。誰もが、いつ何時、病気や不慮の事故で、生活に困窮するかわかりません。利用者は、感謝を持って制度を享受するものです。だからこそ、行政側に対して、謝罪を要求する気持ちに少し引っかかるのです。

 確かに、裁判の負担を強いられた請求者の苦労や憤慨はわかります。わかりはしますが、行政側は意地悪で支給削減をしたわけではなく、また横領などの犯罪をしたわけではありません。生活保護法に従って、正しいと思って削減を決定したものです。その決定が間違っていたのですが、法解釈、言わば手続きが間違っていたことが、どれだけの悪なのか、考えてしまいます。

 税金を公平に運用することが行政側の務めです。そこに間違いがあったからと言って、全面的な謝罪をするべき悪行だったのでしょうか。繰り返しますが、請求者側の苦難、その気持ちは分かりますし、行政側も誠意をもって追加支給を急ぐこと、間違った運用をしたことへの言葉はあってしかるべきと思います。ただし、助けてもらっている側が謝罪を!と憤る姿に、日本人の美徳は感じられません。その受給者としての権利意識が欧米か?と思ってしまうのです。これを言うと、生活保護受給者にとって、受給の遠慮や委縮となり、制度の利用をためらう問題に繋がるかもしれません。しかし、受給者=助けてもらう立場からの発言には、もっと適切な言葉があるように思います。
 
 交通事故はじめ、あらゆるもめごとに立ち会った者としては、言葉は大事に思います。間違ったことをしたら謝ることが基本です。一方、被害者側からの謝罪の要求は、その言葉や込められた感情を伝えるに、実はとても難しいと思っています。