アメリカ軍の撤退でアフガン情勢が混沌としております。これは既視感のあるニュースです。

 かつて、10年に渡りアフガンに侵攻していた旧ソビエトは、1989年に撤退しました。私の世代では、アフガン撤退と言えば、ソ連なのです。その前年、おなじみシルベスター・スタローンの「ランボー3 怒りのアフガン」が上映されました。あらすじは、アフガニスタンのゲリラに武器供給していたアメリカ、その軍事顧問であるかつての上官・トラウトマン大佐がソ連軍につかまり、大佐を救出するため、ワンマンアーミー、ランボーがアフガンに乗り込んで大暴れする映画です。全世界でそれなりのヒットではあったのですが、ソ連のアフガン撤退時期と重なり、ややしょんぼり感がありました。      ソ連に続いてアメリカも撤退・・タリバンの皆さんは「いずれアメリカも去る」と待っていたかのようです。映画でアメリカが支援したゲリラは、皮肉にもタリバンの前身です。アレキサンダー大王の時代から、大国に翻弄されつつも、決して支配されない国アフガン、かの国は今も戦国時代が続いているのです。私がこの映画を観たのは、ソ連撤退の前年1988年、アフガニスタンの隣国パキスタンにてでした。

 当時、私は旅行中で、行商をやっていたアジフというパキスタン人とカシュガル(中国の新疆ウィグル自治区)で知り合い、ラワルピンディの街中で再会しました。旅行中はこのような再会は珍しくありません。ホテルも決まっていなかったので、彼の実家に泊めてもらいました。酒が飲めないイスラム国では、遊興ごとが限られます。そこで、近所のビデオ屋さんを教えてもらい、今となっては巨大なVHSテープを購入(恐らく海賊版)、「ランボー3」の上映会としました。

 私が買い物から戻ると、決して大画面ではないブラウン管テレビの前に、パキスタン人が8~9人が集まっていました。アジフが声をかけたようです。恐らく「今日、日本人が来てっから来いよ、みんなでランボー観るぞ!」とでも言ったのでしょう。映画ではパキスタン当地(ペシャワール)がでてくるものですから、ご近所感半端なく否が応でも盛り上がりました。

 日本人とランボー・・異常な熱気です。理由を聞いたのですが、パキスタンでは日本人=格闘技のイメージなのだそうです。なぜなら、ボクシング世界チャンピオン・モハメド・アリと戦ったアントニオ猪木が、数年前にカラチでパキスタン最強の英雄・アクラム・ペールワンをボコボコにして(実際、腕を折ったそう)、「日本人、強ぇ~」と震撼していたのです。    詳しくは 👉 伝説のペールワン戦で猪木が見た光景酷評のアリ戦が報われたパキスタン遠征    そんなわけで、映画で血の気が上がったパキスタンの皆さんは猪木VSランボーの話で持ち切り、口論が始まり、終にはケンカを始める奴までいました。「そんなに怒るなよぉ」、皆でなだめつつ、血の気の収まらない皆さんを腕相撲大会へ誘いました。もちろん、猪木のように腕は折りませんが、私が優勝で一同を黙らせました。    こうして、私にとって「ランボー3怒りのアフガン」は忘れられない映画となったのです。    

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