ご存知、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの言葉です。ニヒリズム(虚無主義)を表す言葉として広く引用されます。もちろん、「紙」ではなく「神」です。
 

 
 どこのスーパー、ドラッグショップを覗いても、トイレットペーパー、ティッシュ、石鹸までも売り切れ・入荷待ちです。まさに、世間は神ではなく、紙の虚無を嘆いています。幸い事務所、家にはある程度の備蓄がありますが、ちょうどテッシュが切れて、山本が文房具店で見つけて買ってきました。1月もすれば在庫が行き渡り、落ち着くと思いますが・・・。

 デマの威力はすさまじい。ここまで国民生活に影響を与えるのです。最近はSNSで「迷い犬を探しています。拡散希望!」などと、善意の呼びかけの連鎖に情報の好活用がみられます。しかし、昨年の「ガラケー女」を晒した人、さらにそれを拡散している人はどうでしょう・・・ネタ元の確証がないにもかかわらず、一般人がお尋ね者を作ってしまうのです。後に晒された人は間違い、別人だったそうです。本当に恐ろしい。これらは明らかに歪んだ正義感と思います。正義のつもりでしょうが、本当は吊るし上げを楽しむ人間の暗部、嫌な部分と気付くべきです。

 太平洋戦争の時は、国が情報を管理していました。一般市民は、国にとって都合のよい情報のみ与えられていた時代です。全体主義の時代に比べ、民主主義の成熟とインターネットの普及から、情報が格段に手に入る時代になりました。しかし、令和の現在になっても、この程度のデマに人々は翻弄されるのです。情報は隠されるより、公開されるほうが方がいい。情報は制限されるより、無制限に公開されるべき。しかし、いつの時代もその情報を選別、読解、利用するのは人間です。

 すると、大量に氾濫した情報を鵜呑みにするのではなく、情報を選別し、情報の本質と、裏の裏までをも読み解くリテラシーの向上が必要です。しかし、これを学校教育で教えるのは、なかなかに難しいと思います。学校教育を極論すれば、教科書に書いてる事をそのまま理解する訓練が多くを占めます。あえて曲解する思考力、反対意見や独自の理論を打ち立てる発想は、残念ながら学業成績の低下につながります。「世界に一つだけの花」で礼賛される個性は、時に邪魔になるものです。

 実は、今回のデマに脆弱だった国民層は、おばか、リテラシーが低い層でなく、普通に頭のいい人達なのではないでしょうか。だって、デマを信じて奔走した層などごく一部で、多くはデマと知りつつも、”そのデマに翻弄されるおばかによって品薄になること”を予想してまとめ買いしているのです。さらに、そのような世の動きを予想して買いだめに拍車がかかる・・。

 ・・・「ガセネタの無限ループ状態」

 「私達の民度は低い」ことなど、皆わかっているのです。ある意味、情報を分析・活用した結果が今回の騒ぎだと思います。