ご存じIOCのバッハ会長、再来日したそうです。オリンピックの総括の中で、やはり、開会式の同会長スピーチの長さが挙がったようです。昔から会社や学校の朝礼、結婚式のスピーチ(とくに乾杯の挨拶、ビールやシャンパンの泡が・・)など、古今東西、長い話を好む人はいません。 話の長い人は、たいてい年配者です。あれもこれも言わなきゃと、話す内容をてんこ盛りにしてしまうのでしょう。つまり、加算思考です。これは昭和の思考回路と思います。対して、必要最低限に削るスリム化を良しとする、これは平成以降の価値観とします。こうして、話の長い大人(立派なスピーチに仕上げたい) 対 しびれを切らす若者(早くスマホチェックしたい)、世代間ギャップが出来上がります。
オリンピックは世界最大の運動会ですが、小学校の運動会や朝礼でも、バッハ会長ではなく校長の長いスピーチに、貧血気味の子はバタバタ倒れたものです。私も小学校時代、炎天下、かげろう揺らぐ朝礼で、斜め前の女子が急にかげろうのようにゆらぐと、倒れてきました。すると、私の前の子が避けたものですから、私がギリ抱き留めました。駆け寄った保健室のおばちゃんが介抱とともに、避けた前の子を叱っていました。その子は悪意なく、びっくりしてとっさに避けただけでしょう。その間も続く、校長先生の話・・。「叱る相手が違うだろ」、と子供心にも思いました。
二人目、三人目が倒れるころ、ようやく、校長訓話は中止の判断となりました。あきらかにおかしい。校長のありがたい訓話が優先、子供の健康軽視なのです。これは、戦争中の精神主義の時代ではありません。昭和後期まで、こんなことが全国の小中学校で横行していたのです。今なら、保護者からクレームの嵐、教育委員会からも厳命必至、炎天下の朝礼など許さないでしょう。
バッハ会長のおかげで、このエピソードを思い出すことになりました。年長者の話は長い。若者は我慢して年長者の有難い話を聞かなければならない。この構図こそ、「老害」と呼ばれる綿々と繰り返される歴史の反復性、世界共通の普遍性ではないでしょうか。私も老害と呼ばれる側の年齢になりました。若者に嫌われないよう、何事もスリム化思考を心掛けたいと思います。



どーも、金澤です。
ガッキーが結婚したと聞き、昨日は事務所一同戦意喪失。
オリンピックやコロナを超えた、今年最大のニュースとなるでしょう。
本日は箸休めと言うか、サボり。 来週から労災シリーズ再開します。
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先日、ハムスターが脱走したそうで、夜中の1LDKで、猫ちゃんと壮絶な追い駆けっこが起きたそうです。どうやら、これが苦情の原因のようです。多頭飼いは動物同士の相性と、なにより相当のスペースがないと無理なのです。
最近、指紋認証でエラーが多くなった。一発で認識してくれない。精度が下がったのか? いや、年々制度は上がっているはずですが・・主流は顔認証なので、もはや終テクなのでしょうか。
思い当たることは・・・やはり、手洗いの励行でしょうか。こまめに手を洗うようになって、指紋が薄くなってしまったのでしょうか。皆さんはいかがでしょうか?

何事も2択の判断は難しいものです。今年のマスク論争に似ているな、と思います。
「マスクは効果が有るのか、無いのか」・・・これも二択で判断できるほど、単純ではありません。
マスクは、完全に防疫の効果があるとは言えないが、自身からの飛沫の量を減らすので、一定の効果はある・・このような分析で、ひとまず落ち着いていると思います。つまり、しないよりした方が良い。また、ひねくれた発想ですと、「私はコロナ対策してます」との表札になり、同調圧力の高い日本では欠かせない免罪符と言えます。
世相をみれば、後手を踏みまくっている政府のコロナ対策について、マスコミが毎日のように非難しています。マスコミ以外でも、緊急事態宣言下の自粛警察などは、より攻撃的で行き過ぎた反応です。未知のウィルスに対し、現状、誰もが絶対の正解を持っていないのですから、結果論で非難する、違う意見の他者を罰するような行為は、ちょっと厳し過ぎではないでしょうか。アーティストの山下 達郎さんは、コロナ下、寛容さが必要と、早くから訴えておりました。
94年サッカーワールドカップ決勝、PKを外したロベルト・バッジオ選手は、後にこうコメントしました。
「PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持った者だけだ」
このPK失敗でイタリアは敗退しました。勝負事の結果ですから仕方ありませんが、彼を戦犯にする心無い論調も多かったのです。
一人でゆっくりがいい!
もしかしたら後年の評価で、今年がその完全転換の年になるかもしれません。なんとなく伝統的に継続してきた団体行事が、コロナ下での中止をきっかけに、いつの間にか廃止となる会社も多いのではないでしょうか。昭和の終身雇用時代、会社は家族に次ぐ第2の共同体、社員は皆家族でした。今や非正規、契約社員の比率が増えて組織が分断・階層化し、経営の効率化・合理化の流れは止めようもなく、給与も出来高評価が進んで所得格差が拡大、そして、このコロナ下、テレワークや自宅業務でもほとんど問題ないことが実証されてしまいました。会社括りの人のつながりが希薄になって当然です。
それは、かつて会社行事大嫌いの者にとって、ついに到来した理想的な社会かもしれません。しかし、昭和の郷愁を知る私の世代は、すべて自由では却って面白くない。付き合いだから仕方なく嫌々参加する行事がたまにあっても、それも一興と思います。かつて、会社行事に文句たらたら参加ながら、数々のドラマがあったような気がします。上司や後輩、同僚の、仕事中とは違った顔を見る機会でもあります。何事も有意義な時間とするか、無駄な時間とするかは本人次第なのです。
逆説的ですが、その面倒な人間関係があって初めて、会社・組織から解放された自由を強く感じるものと思います。令和以降の世代にとっても、罰ゲームのような会社付合いが一つ位残ればいいなと思う次第です。
それから5年後、縁あって地元のビートルズ専門ライブハウスでのステージに、毎週のように立っていました。ビートルズのナンバー150曲ほどレパートリーに、延べ数百回のステージをこなしたものです。もはや、下手の横好きでは済まされません。結構、大変でした。
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