この世にないものを追ったことがありますか
 
 
 

週末探偵の誕生

 斜陽の差し込みが窓の陰影を濃くした実家の前に、私は今日も立っていました。ちょっとした幽霊騒ぎなど時間が経てば・・のはずですが、町内会の噂は広がるばかりです。母は幽霊となってまで、一体どんなメッセージを残したいのだろうか。まったく霊感のない私には何も見えません。生まれてこの方、不思議な現象に遭遇したことは皆無です。有名な幽霊スポットでも、一人平気で夜釣りができます。どうせ、私には何も見えないからです。多分、よく釣れる好ポイントを隠すため、誰かが流したデマではないか、そのような推理をしています。
 
 あれから毎週、日曜日に実家に帰っては、どうせ見えない霊と向き合う作業となりました。実体のない想念がいつまでの家の中に漂っているとしたら・・何かおまじないや魔法陣でも組んで召喚してみるか(コックリさんしか知りませんが)・・・ええぃ、何を馬鹿な!。非科学的なことは信じていません。それでも、茜町の怪談・秋葉家の亡霊の謎を解く事は、最早、私のもう一つの仕事なのです。なぜなら、実家が事故物件では・・父が介護となればヘルパーさんの確保が困難になります。また、将来、家を売却するにも安くたたかれてしまいます。それこそ、リアルなオカルトです。

 このままでは、めまいで後遺障害12級を取ってしまいます。もう、必死です。ネットや書籍で幽霊について調べました。死への準備や心構えなど無く、急に亡くなった人間は、その想念がエネルギーとして物質社会に残存するのでしょうか。結局、実証的な文献は皆無、何ら証明できる方法に近づくことができません。非科学的なことを科学で解明しようと試みることこそ、矛盾しています。だからと言って、霊視だの霊能力者だの、超自然を商売にしている連中は、うさん臭さしか感じません。連れてくれば、きっと、母の霊が見えると言うに決まっています。何か見えなきゃ、お代を取れないからでしょう。お札も石も売れません。「見えなかったから、今回は交通費だけでいいです~」と、実費だけで帰る霊能者を見たことがありません。

 何より事実関係の確認からです。ことあるごとに「母を見た」と言う、認知症の父から話を聞いても詮無きこと、とりあえず、一向に進まない母の遺品整理を毎週日曜日に進めました。さらに、あれからすっかり怯えている山口さんを見つける度に、慎重に母の目撃者や出現場所を問いただしてみました。

 こうして、私の週末探偵(それも心霊探偵)の日々が始まりました。
 

One more time, One more chance

 くだらない噂話などしない山口さん、誰がとは特定を避けながら、母の目撃情報を毎回1つは教えてくれました。その一つを言い終わると、毎度一瞬で自宅に滑り込みます。あれから山口さんの自宅玄関には、塩が盛られています。要らぬ迷惑をかけてしまった。

 さて、その、目撃情報ですが・・・
 
1、向いのホーム

 ・・・母が実家最寄りの蒲生駅(東武伊勢崎線)に居た?
 
2、路地裏の窓

 ・・・問題の出窓を指すのでしょうか、この目撃談がもっとも多く、3件聞きました(1件は山口さん含む)。
 
3、交差点

 ・・・母を含め家族がよく利用した、近くのセブンイレブンのある交差点でしょうか。
 
 噂の多くは尾ひれがつくもの。おそらく、ほとんどは見間違いや、幽霊騒ぎ下の無責任な好奇心がそう見せているだけかと思います。
 
 そして、ある法則性に気付いてしまい、この目撃談の信憑性を大きく下げることにしました。

 もうお気付きの方もいるかと思いますが、小タイトルの通り、目撃場所は山崎 まさよしさん(※1)の名曲、「One more time,One more chance」にでてくる歌詞です(※2)。偶然か、それとも、名曲の普遍性が一致させたのか・・。

 私は、目撃場所を聞くたびに、「こんなとこにいるはずもないのに ♪ 」と心の中で歌っていたのです。

※1 山崎 まさよし(さん)…シンガーソングライター、「鼻にかかった声で」と説明する際、必ず引き合いにだされる歌手です。
※2 同氏の代表曲。失恋男の未練がましい心情を切々と歌っています。歌詞は⇒(うたまっぷcom
 
 目には見えない得体のしれない恐怖、そして、山崎 まさよし(さん)・・・茜町を包む重苦しい影は一層厚みを増して、青いはずの秋空を永遠に遮るかのようです。臓腑が逆さになって、苦い胃液が口腔に広がるような不快感はいつまで続くのか。
 
 何ら手がかりが得られないまま、週末探偵の徒労は続き・・その年は暮れました。
 
 つづく(明日、早くも謎が解ける?) ⇒ 第3話