後遺障害14級9号「局部に神経症状を残すもの」の逸失利益ですが、地裁での相場は5年がMAXで、交通事故紛争処理センターでも5年が限度のようです。これは、弁護士が相手保険会社に5年MAXで請求した結果です。それ以前に、相手保険会社はまず2~3年での提示をしてくるものです。被害者自らの相対交渉では、なかなか5年に及びません。そこで、裁判あるいは弁護士を介しての交渉か、紛争処理センターの斡旋に付すわけです。
もちろん交渉事ですから、相手との交渉で年数が決定されるものです。その交渉において、”5年が相場”を厳格に捉え過ぎている弁護士がみられるので、「逸失利益を〇年まで伸ばせないか」一提案をすることがあります。個別具体的な事情に沿って逸失利益を算定する必要があるからに他なりません。
個別に症状をみて、それが重い場合ですが、痛みの程度はなかなか数値化できません。「すごく痛いから10年です」との物言いでは通りません。10年は12級13号「局部に頑固な神経症状を残すもの」の相場です。そもそも12級は、画像や検査数値の基準を満たさねば認定されません。しかし、複数の14級の場合はいかがでしょうか? 頚椎捻挫で14級、膝の痛みで14級、これらは併合14級となります。複数の等級から合わせ技一本!で繰り上がるのは13級以上の場合で、14級はいくつ認定されても、14級のままなのです。これは自賠責保険のルールです。しかし、首も足も痛い、これでは苦しみが2倍ではないですか!
繰り返しますが、個別具体的な事情を鑑み、民事上の損害賠償を請求する場合、やはり、個別の事情から年数を主張すべきと思います。弁護士であれば、その交渉ができるはずです。今までも、連携弁護士の粘り強い交渉から、5年を超える逸失利益を取ったことが何度かありました。秋葉事務所としては、綿密な医療調査から14級9号を複数取る為の後遺障害診断書を仕上げます。それはそれは丁寧な作業です。一つの実例を以下、掲載します。少し古い実績ですが。
14級9号:右足母指剥離骨折(30代男性・千葉県)
【事案】
バイクで直進中、交差点で対向右折自動車と衝突。転倒し右足の親指を骨折する。 【問題点】
母指の癒合状態は良好であるが、剥離骨折は何かと不具合が残る。幸い可動域に障害は残らなかったが、鈍痛や違和感が残存する。それを訴えた診断書が望まれるが、医師は面談を頑なに拒否する。癒合が良好で、何も自覚症状を訴えなければこの障害は非該当となってしまう。 【立証ポイント】
主治医に手紙を書く。数度の手紙で自覚症状を丁寧に説明する。指が非該当になった場合の保険として、頚椎捻挫の訴えも正確に記載していただく。結果、指と頚椎でダブル14級9号。面談叶わずともマメな手紙でこちらの誠意が医師に伝わったと思う。
ちなみに後の賠償交渉で逸失利益7年を勝ち取る。頚椎捻挫だけであれば、余程のことがない限り逸失利益は5年が限度。これも弁護士と気脈を通じた立証作業での好取組例と思う。 (平成25年1月)

亡くなった方の甥や姪を全部調べるために、市役所に出生から死亡までの原戸籍を含む戸籍謄本の収集作業が延々と続きます。これだけでも数カ月はかかります。また、遺産を受け取る甥や姪さん達に分割協議書に実印を押してもらうまで、これも順調にいかないことが予想されます。まず連絡先を調べること(たまに遠方、海外もありました。行方不明もありそうです。)、そして、それぞれに事情の説明とご理解を得ること、実印と印鑑証明書をご用意頂くこと、その人数が多ければ、膨大な手間と時間がかかるのです。
現在は子供の数が減っていますので、昔のように兄弟が大勢いるケースは少なく、相続業務はスリムになると思います。一方、生涯独身の人が増加していますので、兄弟姉妹への相続やその子への代襲相続が予想されます。その点は面倒になるかもしれません。
全県には及びませんが、主要都市ならまずOKです。

ついに壊れた。診断名は、肩関節脱臼、肩鎖関節脱臼(GradeⅤ、棘上筋他、主要肩腱板の全断裂)。10年以上、活躍してくれた鎖骨の骨格模型ですが、やはり、その使用頻度に加え、関節をグリグリ動かすものですから、傷みやすかったと思います。
連休中なので仕方ないですが、城内に入るには1時間待ちの列です。外観だけで満足ですから、いずれかの機会に譲ることにしました。各地の名城・天守閣をいくつか観てきましたが、松本状の黒い威容にはうならされます。まさに質実剛健、城本来の守備能力だけではなく、造形美も意識したと思います。戦国末期から江戸時代は政庁として、一国のシンボルに役目を進化させた城ですが、よくぞ当時の形を保ってくれたと思います。

自分の保険への請求依頼・・増えています。
PS.
正直、再請求を覚悟してましたので、初回で取れてよかったです
治水対策の人工湖と一緒に都市を作る、これがコンセプトでした。越谷在住の頃は、わりと頻繁にお買い物に訪れたものです。専門店が充実していたので、都心に出向かなくても済むので大助かりでした。土日は激混みなので、平日の昼間にのんびり回っていました。なにせ、オープン当時は東洋一の売り場面積のショッピングモールでしたので。
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