交通事故の被害者さんが、健康保険での治療をお願いする場合、「第3者の行為による傷病届」が、国保・協会・組合健保から届きます。この書類は弊所では慣れたもので、15~30分で記載しますが、慣れない書類となる被害者さんにとって、最初に苦しめられる書類かもしれません。 👉 健保の「第三者行為による傷病届」について この書類の意味とは・・「本来、加害者側が負担すべき治療費を、皆の掛金(健康保険税ですが)で賄っている健康保険が出費することなど筋違いです。後で払った分を、加害者あるいは加害者が加入している自賠責保険・任意保険から返してもらいます。つきまして、その念書を書いて下さい」となります。 今回、問題提起することは、治療が完了した後、例えば、治療の中止や症状固定となった後に、この書類の提出を求められた場合です。中止や症状固定で治療は終了したので、後は後遺障害などの請求を残すものの、法律上、被害者から加害者への治療費の賠償請求権は無くなったことになります。と言うことは、健保保険もこれ以上、加害者に「治療費を返せ」と言えなくなった瞬間でもあります。ですので、症状固定後の健保治療は事故とは切り離され、普段通り、風邪をひいた、庭で転んだケガで健保を使うことと同じになるわけです。これ、意外と知られていないようです。
何故なら、症状固定後や事故の解決後の治療で健保証を提示すると、病院の窓口で「健保から書類が行きますので記載・提出して下さい」と言われたり、本当に健保から書類が届いて提出を求められるのです。以前、神奈川県の国保(平塚支部だったかな)から、第3者届の提出を求められた被害者さんから、相談を受けました。私としては、「症状固定後は第3者行為とは切り離されるので、提出は不要です」と回答したのですが、担当者が譲らないそうです。仕方なく私からその後担当に電話しまして、「症状固定したので不要と思いますが?」と説明しましたが、「書類を提出した上で、それを当方が判断しますので、まずは提出して下さい(怒)」と・・。
判断も何も、事実を伝えるだけで済む話です。言い争いをしても時間の無駄なので、一旦、電話を置き、神奈川県庁の担当部署に電話して事情を説明、提出不要の回答を得ました。県庁のご担当者からは、「私から平塚の担当に言っておきます」としてくれました。 実は、このような面倒なやり取りは度々起っています。今日も1件、長野からかつての依頼者様よりご質問です。役所の皆さんはもっと勉強してもらいたいと思います。被害者さんは毎度、右往左往、大変なのです。

格落ち損害・・・大衆車にはそもそも「格」がありません。
裁判したところでほとんど取れません。
タイトルの通り「それは相手保険会社にやらせるべき」と考える被害者さんは、言わば加害者に任せて白紙委任していると言えます。どうしても、被害者意識から「何でもかんでも加害者が負うべき」と考えてしまうのでしょう。それは間違いです。自らの損害を明らかにして主張する=立証こそ、被害者の役目なのです。「立証責任は請求者にあり」、民法でもそうなっています。
被害者さん達にとっては酷なようですが、自ら診断書はじめ書類に責任を持つべきです。人任せではなく、せめて後遺障害診断書だけでも自分で取得し、内容を吟味すべきです。そして、後遺障害の審査に際しては、被害者請求の流れが望ましいと思います。
いつだって、人任せとは責任と権利の放棄と心得るべきです。
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(1)退職代行業って流行っていたんだ・・
退職を誰かに任せたい、そんなニーズがあるのですねぇと思っていました。ところが、ニーズはわずかではなかったのです。また、「会社辞めます」と電話や手紙を出すだけの仕事です。こう言っては失礼ですが、ノウハウなどいらないような非常に簡単な仕事です。最初、このようなユニークな(?)仕事で、経営が成り立つのかな?と疑問視したものです。ところが、近年の隆盛を見ての通り、全国規模の法人がいくも立ち上がりました。これは(商売っ気の弱い)私の想像を超えたものでした。
(2)退職代行業は非弁護士行為(弁護士法72条)か?
ある代行業社の公式サイト、そのQ&A「退職代行って違法なの?」との問いに対して、「弁護士以外が交渉を行えば違法になります。当社は「通知」に徹しているため、違法性は一切ございません」との回答が掲載されています。「交渉」とはすなわち法律業務を意味しますが、「会社を辞めます」という意思表示をだけなら、片面的な行為(一方からの通知だけ)なので、弁護士法で禁じられている「代理行為」には及ばないことになります。したがって、合法となります。
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(このジャケットで初めて顔を見ました)
(選手名は敬称略)奥 大介は1976年2月7日生、兵庫県尼崎市出身のJリーガー、現役時代のポジションはミッドフィールダー。日本代表にも選出されています。
今では信じられないことですが、1950年代までのハリウッドでは、20代前半の若手スターなど、ほとんどいなかったのです。若者が主人公となる映画は無きに等しかったと思います。名だたる二枚目俳優は若くて30代後半、ほとんど中高年でした。ロック・ハドソン、クラーク・ゲーブル、ケイリー・グラント、ジェームス・スチュワート・・もう、おっさんばっかりです。そのおっさん達が、親子ほど年の離れた若手女優とくっつく話ばかり。1953年公開、「ローマの休日」のグレゴリー・ペックは当時37歳、オードリー・ヘップバーン24歳と一回りの年齢差ですが、これでも年齢が近い方です。そう、映画は大人のもの、だったのです。
そのような中に、粗削りで未完成だが憂いのある若手スター、ジミーが誕生したのです。50年代のアメリカにおける尾崎 豊とでも例えましょうか・・それは、衝撃的なデビューだったようです。「エデンの東」、「理由なき反抗」、「ジャイアンツ」有名な3部作を残しました。
「ジャイアンツ」の撮影終了からわずか1週間後の1955年9月30日、彼はサーキットに向かう途中で、交差点の出会いがしら衝突によって亡くなりました。日本での映画公開は死亡後だったそうです。享年わずか24歳、永遠のスターになったのです。
ブラックは3人組のバンド名で、本名はコリン・ヴァーンコム、1962年生まれのイングランドのシンガーソングライター。1981年、リヴァプールでデビュー。1986年にようやく「ワンダフル・ライフ」が世界的ヒット。
事故状況は詳しく報道されていません。2016年1月12日、アイルランドのコーク空港付近にて、交通事故に巻き込まれて昏睡状態となり、1月26日に死去、享年53歳でした。
ワンダフルライフ 👉
1941年(昭和16年)生まれ。東京都中央区日本橋の出身です。ドリフターズではサイドギターでした(リードギターはブー、ベースはいかりや、カトちゃんドラム、荒井 注さんは覚えてない・・ので調べたらキーボードでした。ほとんど弾けなかったようですが)。仲本さんはビートルズで言うとジョン・レノンのパートです。1966年6月武道館、ビートルズの前座としてドリフは『ロング・トール・サリー』を演奏、仲本さんがヴォーカルでした。その後、バンドよりコメディグループとして、1969年より「8時だよ全員集合!」放送開始、そのお化け番組で大ブレイク、1982年まで放送されました。
事故は、2022年10月18日午前9時12分頃、横浜市西区浅間町5丁目の信号機のない交差点を横断中、ワンボックスカーにはねられ、緊急手術となりましたが、最後まで意識が戻ることなく、翌日に亡くなりました。診断名は急性硬膜下血腫、享年81歳。
事故場所は、歩行者横断禁止となっています。高齢者の横断中事故は多いものです。歩行者に責任のある横断禁止道路であっても、直進する自動車は気を付けなければなりません。
詳しくは以前の記事から 👉 



