最終回にして、この傷病名がでてくるとは・・・ 最終話で、うつ病で現場を退いた院長先生(ヒロイン甘春先生の父)が久々に病院にやってきました。元気がないのは当然ですが、めまいで倒れました(正確には起立性頭痛かな)。その症状を診て、主人公の五十嵐放射線技師(実は医師免許を持つ)は、アメリカで類似の患者を診た経験から、「低髄液圧症候群」を疑います。簡単に説明しますと、外傷性のショックなどで後頭部の硬膜から脳脊髄液が漏れ出して、様々な症状が起きる症例と説明されています。ドラマ同様、うつ病と誤診されやすいようです。ただし、実際にそんな症状が起きるのか懐疑的な医師も多いようです。
その後、MRI、脳シンチ検査を実施して確定診断となります。そこまでは良かったのですが、急遽、手術となり、なんと執刀を買って出たのは娘の甘春先生です。術式はブラッドパッチ(※)、甘春先生は放射線科医です。普通、放射線科医は手術をしません。まして、やったこともないブラッドパッチを行うなどありえません。さらに、あろうことか、助手に付いた五十嵐技師が手術を行いました。それが医師法違反と大騒ぎになる展開です。まぁドラマなので突っ込みを入れても詮無きことですが・・。 ※ ブラッドパッチ療法=硬膜外自家血注入療法。・・・脊椎の硬膜外腔に患者さんの血液を注入して、硬膜外腔組織の癒着・器質化(要するに血が固まる)によって穴をふさぐ療法です。これで、脳脊髄液の漏出を止めるのです。血液は20~30cc採血し、造影剤を加えてレントゲン透視下で硬膜外に注入します。都内では山王病院が有名ですが、実施できる病院は増えて、全国的に伝搬した感があります。 注目は、何と言っても最後の傷病名「低髄液圧症候群」です。ラスボスはこれか・・。数年前、この傷病名は「脳脊髄液減少症(CSFH)」でした。交通事故の相談会にやってくる被害者さんの10人に1人が、この傷病名を名乗ったものです。それが、ここ数年ピタッといなくなりました。不思議です。傷病名にも流行りすたりがあるのでしょうか。
むち打ち、頚椎捻挫から、頚部に神経症状が発症した場合、単なる捻挫では済まず、治療が長引きます。症状として、頚部痛や肩~手指にかけてのしびれ以外に、頭痛、めまい、ふらつき、耳鳴り、不眠、疲労感、睡眠障害、生理不順、なんだか調子が悪い・・状態が続きます。これらを総称して「不定愁訴」と言います。不定愁訴が続くと、患者さんは長引く症状に、自身の症状は何か別の傷病なのでは?と不安に陥ります。そこに登場するのが、「脳脊髄液減少症」です。


脳髄液の漏れ? かつて、お話を聞いた脊椎の専門医や脳神経外科医は懐疑的でした
しかしながら、まだ完全に解明しきれていない謎の症例でもあります。現状、以下の通り診断基準が固まっています。それなりに珍しい症例であるはずです。数十名の「脳脊髄液減少症」とされた被害者さんを見てきましたが、1人もこの基準を満たす人がいませんでした。ですから、「脳脊髄液減少症の疑い」が正しい診断になります。それでも、一部の病院が、疑いだけで診断書を乱発したと思っています。 詳しくは ⇒ 脳脊髄液減少症(CSFH) ...

←関節唇(MRI・T1冠状断)
続きを読む »
私のポジションはセカンドでした
いつもスポーツ関連の記事ばかりですいません。10月1日、ハンカチ王子こと斎藤祐樹選手が引退を発表されました。プロに進んでからは怪我に泣かされ続け、世間が期待するような結果が出なかった選手の一人だと思います。11年の選手生活、本当にお疲れ様でした。(交通事故・後遺障害とは全く関係ありませんが、書かせていただきます。)
窪田 正孝さん主演ですが、放射線技師を主人公にしたドラマは初かと思います(実は放射線科医らしい。つまり医師免許を持ちながら、わざわざ放射線技師をやっている)。医師以外の医療従事者のドラマと言えば、何といっても看護師、ナースの話しかなかったと思います。その他、歯科医はあったと思いますが、理学療法士や柔道整復師のドラマは知りません。このドラマは医療関係者の注目はもちろん、私達にとっても興味深い場面ばかりです。普段接する整形外科医に次いで、放射線科医や放射線技師とも打ち合わせすることが多いのです。
最近は老眼鏡が欠かせません(泣)
皆様、大変お世話になりました。札幌でも頑張ります!

続きを読む »

まいど病院との折衝から14級奪取の力業です
続きを読む »
続きを読む »
手術のタイミングを含め、判断が難しいものです
続きを読む »
続きを読む »
ソ連に続いてアメリカも撤退・・タリバンの皆さんは「いずれアメリカも去る」と待っていたかのようです。映画でアメリカが支援したゲリラは、皮肉にもタリバンの前身です。アレキサンダー大王の時代から、大国に翻弄されつつも、決して支配されない国アフガン、かの国は今も戦国時代が続いているのです。私がこの映画を観たのは、ソ連撤退の前年1988年、アフガニスタンの隣国パキスタンにてでした。



